シーン3
- 21lastplay
- 2021年2月6日
- 読了時間: 10分
更新日:2021年2月18日
生徒会が来た。
そう知らせにきた新聞部の二年生たちは、部室の前で事切れたように座り込む。他の部にも知らせに回っていたのか、廊下がざわざわと、やたら騒がしいことに気づいた。
「生徒、会?」
扉のいちばん近くに立っていた育美が混乱したように呟くと、夏樹はイラついたような溜め息をひとつ吐きながら、飲み干したエナジードリンクの缶を潰す。
「まーさか、いよいよってカンジ?」
夏樹が意味深にそう言うと、夢乃が勢いよく椅子から立ち上がった。
「…行こ。外、なんかヤバいみたいだし。」
僅かに見せた動揺を隠すように静かな口調でそう言って、夢乃は小走りで部屋を出て行く。その後を追うように、朔太郎と桃華も焦った様子で廊下に飛び出した。
「早く来いよ、置いてくぞ!」
廊下から聞こえる朔太郎の声がだんだんと小さくなり、育美も慌てて部屋を出る。
「何なんだよ、これ…」
たった一人、状況がさっぱり理解できない七星の言葉に、夏樹は相変わらずマイペースそうな調子で「ああ〜」と苦笑いを浮かべた。
「なんて言うか、その…アレだな。天敵ってヤツ?まじでめんどくさくてさあ…」
「天敵?」
「そ。アタシ達を餌にしてる権力集団。それこそが、生徒会なのです。」
わざとらしい先生口調で嫌味を言い、乱れた髪を掻き上げる。
「ま、アタシらも行きますか。」
時折聞こえてくる怒号や悲鳴には気を留めず、眠たそうなあくびをしながら夏樹は部屋を出た。
「お、おい…待てよ!」
ひとり取り残された七星も、その背中を追って走り出した。強い風が吹き込んで、開け放した窓が激しい音を立てて震える。その様をぎょっと一瞥しながらも、七星は先を急いで階段を駆け下りた。
*
かもめ館の正面にできた人垣は、まるで要塞のようだった。ずらりと並んだ生徒たちは入り口を守るように身構え、対峙している二人の女子生徒を睨みつけている。
夏樹と七星がその場に到着した頃には、先に出ていた夢乃たちもその人垣に混ざって応戦しているようだった。少し離れたところでおろおろとしているのは、育美だけだ。その腕を乱暴に掴んで、七星は無理やり育美を引き寄せた。
「なあ!これ何なんだよ、どういうこと?」
「どういうこと、って…それは…」
「もっとはっきり喋れよ、聞こえないだろ。」
顔を覗き込むと、育美は困ったように目を逸らして、ぎゅっと口を噤んだ。そのもどかしい態度が気に食わなくて、七星はまた、突っかかるように育美を見る。何かを切り出そうと口を開いたが、それを遮るように、よく通る鋭い声が空間に響いた。
「これはこれは。演劇部の皆さん、ご機嫌よう。」
「わかめ館の皆さん、ご機嫌よう。」
学校指定の制服をきっきりと着こなした、隙のない佇まい。自信に満ちた表情からも、彼女たちが噂の生徒会であることは明らかだった。
先程までの騒々しさが嘘のように、しんとした沈黙が辺りを包む。その様を嘲笑するように、二人の女子生徒は唇の片側で笑みを浮かべた。
「かもめ館、なんですけど?」
この場で唯一の教員である夏樹がそれとなく口を挟むと、便乗するように朔太郎と夢乃も一歩前に出る。
「生徒会が俺たちに何の用だよ。」
「ここは関係者以外、立ち入り禁止なんで。」
夢乃と朔太郎があからさまに睨みつけると、髪をひとつに結った生徒会の片割れが、わざとらしくハンカチを目に当てた。
「あら、ヒドい。私たちまだ何もしていませんのに、嫌っちゃイヤよ。ねえ、瑠璃子さん。」
「その通りですわ、お姉さま。」
顔を合わせて不敵な笑みを浮かべる二人に、朔太郎は舌打ちで応える。高等部の生徒会長と副会長は、双子の姉妹だと噂では聞いていた。姉の美和子は礼儀に厳しく、妹の瑠璃子は規則に厳しい。この二人が生徒会に入ってから、元々厳しかった高等部の校則が、さらに窮屈になったとか、なっていないとか。
とにかく良い噂はあまり聞かない、一般生徒の敵であることは確かだった。
「生徒会長の八神美和子に、副会長の八神瑠璃子、だよな…?」
「ただ事じゃなさそうだねえ、これは。」
朔太郎の言葉に答えるように、夏樹は溜め息混じりで呟く。その会話を真横で聞いていた桃華はムッとした様子で、なぜか朔太郎の背中をべしべしと叩いた。
「もー!一体何しに来たってのよ!!」
「ちょ、俺関係ないじゃん!」
朔太郎と桃華の普段と変わらない言い合いに、夢乃は呆れてこめかみを押さえる。
「でもほんと、何が目的なの。あいつら。」
「…この古臭い館を潰しに来た、と言えば分かるかな?」
「は?」
独りごちた夢乃の背後から飛ぶ、男の声。その場にいた全員が一斉に振り返ると、そこには背広を着た若い男が立っていた。薄っすらと笑みを浮かべたその人は、今の惨劇状態には似合わないほど泰然たる様子で、生徒会長たちの方へと歩みを進める。あまりにも堂々とこの状況に割り込んでくるものだから、誰もが呆然と眺めることしかできなかった。
「な、なんだあの人、コワ…」
「誰…?」
朔太郎と桃華が、不安そうに呟く。それを耳にしたのか、八神美和子と八神瑠璃子は、待ってましたと言わんばかりに声を張って、その男を迎えた。
「学院長様。ご機嫌よう。」
「お疲れ様でございます、学院長様。」
*
「ご苦労だったな、八神。後は私が話をつけよう。」
そう言った男は、口元の微笑を崩さずに演劇部へと向き直った。学院長と呼ばれるその人は随分と若々しく見える。そういえば、前学院長が唐突に海外での隠居を決めたため、その孫である青年に学院長の席を譲ったのだと学内で噂になっていた。噂が本当なら、それはきっとこの男のことだ。警戒して黙り込む演劇部に向かって、男はすっと手を伸ばした。
「西條透也だ。本年度より、学院長に就任した。どうぞ、宜しく。」
差し出された手は誰に取られることもなく、だからといって、下げられることもない。朔太郎と夢乃が目線で無言のSOSを送ると、夏樹は心底嫌そうに溜め息をついた。ジャージの裾で軽く手を拭い、重い足取りで前に出る。
「日下部夏樹。演劇部の顧問。どうも初めまして、学院長センセイ。」
「嫌だな先生、冗談はよしてください。今朝も職員会議でお会いしたのに。」
「あ〜…そうでしたっけ。今朝の記憶とか、もうないんですわ…」
形式ばかりの握手をかわす二人の後ろで、朔太郎と桃華は「どういうこと、どういうこと」と夢乃の肩を叩く。「知らんし」と一蹴した夢乃は、鬱陶しそうに二人の手を払った。怖がってるのか、楽しんでいるのか、小声であれこれ噂話をする二人に構いながら、夢乃は視線の先に学院長をとらえる。
「どうせロクなこと、考えてないと思うけどね。」
わざと聞こえるように呟いた夢乃の声は、どうやらしっかりと届いていたらしい。夏樹との握手を解くと、学院長は演劇部に向かって歩みを進めた。
「突然だが、このかもめ館、及び演劇部専用ホールは取り壊しとさせていただく。」
学院長はそう言って、何やら難しそうな書類をペラリと掲げた。七星があからさまに首を傾けると、双子の生徒会役員、通称「生徒会シスターズ」がクスクスと、上品な笑い声をたてて口元に手を添える。
「新しい教育棟を建てますのよ。プライベートが確保された完璧な自習室を中心に、セミナールーム、図書資料室、コンピュータールームに、化学実験室…学生の学びを支える、完全な設備。名門校の名に恥じない、立派な建物ですわ。このもずく館とは違って。」
「かもめ館、なんですけど…」
「細かいことはどうでもいいでしょう。」
朔太郎の控えめな訂正は、副会長の瑠璃子にピシャリと叩き潰される。小さく身震いして後退る朔太郎を追うように、桃華も小走りで夢乃の後ろに隠れた。いつの間にか弱虫二人組の盾にされていた夢乃は、呆れるように肩で息をつく。
「てかさあ、なんでワザワザここなの。」
夢乃が言い放った言葉に、桃華と朔太郎も控えめに頷いて同意した。旧校舎跡地の森は広大で、土地は余るほどにある。わざわざかもめ館を潰してまでこの場所にこだわるには、それなりの理由が必要だった。形勢逆転もあり得る鋭い指摘だ。アンサーに困った生徒会シスターズは、ふよふよと視線を泳がせる。夏樹が目の端で学院長の姿を盗み見ると、彼は相変わらず涼しい顔をして立っていた。
「いい質問だが、答えは明白だな。それはこの建物が、我が校にふさわしい存在ではないと判断したからだ。かつては文化活動の拠点として栄えていたこの場所も、今では堕落した生徒や教師のサボり場に。嘆かわしいことだ。」
「サボり場なんて、そんな…」
「君たちには、実績がない。つまりは、何も成していない。違うか?」
口を挟もうとした夢乃を睨む視線は鋭くて、思わずさっと目を逸らしてしまう。口元にだけ浮かぶ笑みは、それまでの威勢の良さを小馬鹿にしているようだった。
「人間は結果が全てだ。結果を残せない者は、何も成していないのと同義。何の実績も生み出さないこの場所は、我が校には不要だということだ。」
理解したか、と念を押して、学院長は一歩前に出た。後退る生徒たちには見向きもせず、挑発するような目で夏樹を見る。夏樹は居心地が悪そうに、また大きな溜め息をついた。
「潰すってそんな、急に言われてもねえ…」
「急にも何も。分かりきったことじゃないですか。この場所はもう終わった。栄華を極めた嵐ヶ丘演劇部は、もうどこにもないんです。」
学院長が諭すようにそう言うと、夏樹は言い返すこともなく、雑に頭を掻いた。部員はたったの四人。大会出場はおろか、ここ数年は公演すらまともに打っていない。
演劇部は終わった。
言われるたびに痛感するのは、もうこの場所に希望がないということだった。
「まあ、それもそうなんだけどね。」
「なっちゃん先生!!」
諦めたようにぼやく夏樹には、咎める夢乃の声も届いていないようだった。振り返ろうともしない腑抜けた背中に、何と声をかけていいかも分からない。だんだんと重く澱む沈黙を、学院長は相変わらず薄ら笑いで見ていた。
「決まりだな。最低限の荷物だけまとめてさっさと此処を出るといい。」
「でも…!」
「これ以上、話すこともないでしょう。学院の決定には従ってもらいます。」
立ち入り禁止を示す黄色のテープを広げた生徒会シスターズは、入り口を守るように立っていた新聞部員たちを押しのけて、古びた扉に手を掛ける。
「迅速に動きなさい。瓦礫の下敷きになりたくなければね。」
美和子が勢いよく扉を開けると、恐れをなした文芸部員たちが雪崩れ込んでいった。よほど大事な物があるのか、二階の部室を目指して階段を勢いよく駆け上がる音が響く。それに続くように、かもめ館の民たちは次々と部室に駆け込んでは、あれがない、これがないと騒ぎ立てた。荷物を下ろせば埃が舞い、階段を飛び降りれば床が軋む。この古い館を守ろうとする者は、もう誰もいなかった。
「…やはり、所詮は綺麗事だな。」
騒がしい館の様子を茫然と眺める演劇部を横目に、学院長は低い声で呟いた。
「お前たちの、想いとやらは。」
そう言って学院長は、かもめ館の看板に手を伸ばした。木製の傾いた看板は、落ちそうで落ちない絶妙なバランスを保ちながら、扉にじっとしがみついている。誰が作ったのかも、誰がこの、センスの悪い微妙な位置につけたのかも分からない。ずっと昔から、変わらずそこにあったものだった。あれを取られたら終わる、そう思ったのは一緒だったのか、夢乃と夏樹が一歩前に出た。しかしそれよりも早く、学院長の手が乱暴に制される。そこに立っていたのは七星だった。
「綺麗事じゃない。」
掴んだ手首を強く握って、七星は学院長を睨みつけた。
「俺は此処で芝居する。潰すなんてゆるさない。」
「…離せ。」
「離さない。此処の舞台に立ちたくて、だから嵐ヶ丘に来たんだ。芝居ができなきゃ、何の意味もない。」
七星の言葉に、学院長は不貞腐れたような嘲笑を浮かべた。手を振り解く力が強くて、勢いづいた七星は地面に尻餅をつく。傍に立っていた育美が慌てて駆け寄ろうとすると、学院長は冷ややかな目で二人を見た。
「できるのか。お前らに、芝居が。」
握った拳に浮き出る血管が、ふつふつと沸く怒りに耐えかねているようだった。何も答えられない育美の横で、七星はまた立ち上がり、泥も払わないまま学院長に向かい合う。逸らすことなく睨み続ける瞳が、陽の光を受けてちらちらと輝いた。
「やる。絶対に、此処で芝居する。」
「…なるほど。そうか、絶対に、か。」
痛いほどに続いた火花の散るような睨み合いの沈黙を破り、学院長は七星の言葉をじっくりと反芻した。何が可笑しいのかクツクツと笑い、見せかけの機嫌を整える。睨みをきかせていた目はすっと細められ、また胡散臭い笑みを顔に貼りつけた。
「そうか、いいじゃないか。少々命知らずのようだが、その威勢の良さは評価に値するだろう。嫌いじゃないさ。彼に免じて、君たちに最後のチャンスをやろう。」
学院長の嘘か本当かも分からない言葉に、桃華と朔太郎は「チャンス?」と首を傾げる。その様子に、学院長は満足げに頷いた。
「六月に行われる我が校伝統の祭典、嵐ヶ丘祭。君たちにはそこで、公演を行なってもらう。その公演で此処の価値を…君たちの存在価値を証明し、私達を説得できれば、君たちの勝ちだ。それができなければ、ここは即刻取り壊し。荷物を纏めて、今度こそは出て行ってもらおう。」
「嵐ヶ丘、祭…」
「そうだ。学外に我が校の魅力と伝統をアピールできる、年に一度の貴重な機会。当たり前だが、失敗はゆるされないぞ。どこで、誰が見ているか分からないんだ。求めるのは、完璧なパフォーマンス。それができないなら、君たちがこの学院にいる価値はない。」
そう言い切って、学院長は笑顔のまま首を大袈裟に捻った。
「さて、君たちにできるだろうか。」
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