シーン33
- 21lastplay
- 2021年3月31日
- 読了時間: 8分
「驚いたな。まさかあんたが自ら、取り壊しの撤回を宣言するなんて。」
茶化すように笑う声に振り向くと、そこにはかつての後輩が立っていた。妙にさまになっている制服姿に、思わず溜め息が出る。いつまでその縒れたブレザーを着続けるつもりなのだろう。今年こそ卒業させなければ、伝説どころか七不思議になってもおかしくない。
しかし、当の本人は全くそんなことも気にしていないのか、春の陽気によく似合う、にこやかな笑みを浮かべている。
「…あれだけの支持を集めたんだ。あそこで撤回しなきゃ、俺のイメージも悪くなる。」「まぁ、そりゃあね。でもその割には…いやに熱心じゃないですか。」
及川はそう言って、俺の手元を見た。
隠すタイミングを逃して、仕方なく広げたそれは、演劇の脚本。
あいつが、晴美が書いた物語だった。
銀河鉄道で旅する、二人の少年。銀河一美しい場所で離れ離れになった二人の行く末を知る者はいない。俺だって、知らない。
『離れていても、心はいつでも傍にいる。蓮、俺たちはこれからも、ずっと一緒だ。』
あいつがどういう気持ちで、なんでこの台詞を書いたのか。俺は未だに、何も理解してやれずにいる。理解してやろうとも思っていなかった。
すれ違ったまま、随分と長い時間が経ってしまったのかもしれない。
「…あいつは…頑固で、自分勝手で、そのくせ人のことしか考えてない、大馬鹿者だ。俺はあいつが何を考えてるか、分からなかった。いや、分かろうとしなかった。…俺も、大馬鹿者だったということだ。」
俺の言葉に、及川は「そうですか」とたった一言、そっけなく返すだけだった。
真面目に話したのが馬鹿らしくなって舌打ちをすると「おお、こわ。」と戯れるように笑う。こいつのことは、未だによく分からないし、掴めない。
「…これから、どうするんです?」
真っ白な雲が浮かぶ空を見上げて、及川はぽつりと呟いた。
「どう、とは?」
「一緒に行きますか?芝居修行の旅。」
「はあ?」
「行きましょうよ。今からやり直したって、何も遅くはないでしょ。」
そう言って及川は、古びたガイドブックをぐいと押し付けてくる。図書館のバーコードが入ったそれを、返却期限までに返す気はないらしい。フランスって。一週間やそこらじゃ済まないだろう。
「…いいや、遠慮しておくよ。」
「なんで?」
忙しい、時間がない、仕事がある、面倒くさい。適当な言い訳たちが頭の中で浮かんでは消え、なんでか少し悩んでしまった。
どれも間違いじゃない。でも、嘘になるような気もして。
本当のことを口にするのは、少しだけ気恥ずかしかった。それでも何となく、今なら話せると思った。
「探しに、いくから。あいつが遺したかったもの、俺が見つけてやらないとな。」
「ポエマーかよ。」
「お前には言われたくない。」
案の定、及川には腹が捩れるほど笑われた。
「見つけられますよ、先輩。きっと、すぐ傍にありますから。」
ぽんぽんと背中を叩く体温が、少しだけ懐かしく感じた。
俺はこれからも、こうやって少しずつ欠片を拾い集めていくのだろう。
過去に縛られていると言われたら、それまでだ。俺も及川も、あの日々をなかったことにはできないし、晴美のことを忘れることもできない。
振り向きもせず未来に真っ直ぐ進むなんて、到底無理な話だ。
だったら俺たちは、寄り道をしながらでも前に進むしかない。
そんな人生も、きっと、悪くないだろう。
「じゃ、俺はそろそろ行きます。」
「…お前、卒業しろよ?」
「しますよ、します。でも俺、立ち止まってるのは、性に合わないんですよ。」
なぜか自信に満ちた表情を浮かべる及川のぶれなさに、もう笑うしかなかった。
「それもそうだな。」
「でしょ。では、また会う日まで。」
ひらひらと手を振って颯爽と去っていく及川の背中を、意味もなく眺め続ける。
思っていたよりも広くて大きな背中が、妙に頼もしく見えた。
「……また会う日まで、か。」
開いたまま置きっぱなしにしていた脚本が、強い春風に吹かれてページを進めた。
時は無条件で流れて、物語も、幕を閉じるまでは終わらない。
俺たちの物語も、まだ終わっていない。
だから、探しにいく。
新しいあいつに出会うのか、忘れていたあいつに出会うのか、それだけはまだ分からないけれど。
きっとまた会えると、信じている。
「……また、会う日まで。」
その日まで俺は、走り続ける。
*
『脚本ができた。』
そう連絡を受けて七星が教室を飛び出したのは、ホームルームが終わる10秒前だった。
朔太郎の呼び止める声も届かず、ひっきりなしに人が行き交う廊下を駆け抜ける。
向かうはかもめ館、演劇部部室。
軋む扉を勢い良く開けると、中にいた部員たちは驚いたように七星を見た。
「七星?!今日ホームルーム長引くって言ってなかったっけ?」
「てか、朔がいない時点でお察しだよね。」
夢乃はあきれたように溜め息をつくも、七星は気に留めない様子で鼻息を荒くした。
「だって…!脚本…!」
「脚本はいなくならないから!!ホームルームくらいちゃんと受けなよね。」
鋭いツッコミにたじろぎながらも、七星は育美が手に持つ脚本を、ちらちらと物欲しそうな目で見るのをやめない。
その様子が面白かったのか、育美はくすくすと笑いながら七星に脚本を差し出した。
「これ、東條が書いたんだよな?」
「う、うん、でもあの、俺…そんな上手く、書けなくて…晴にいみたいに、書けなかったから…」
「いいんだよ。俺たち、東條が書いた脚本が読みたいんだ。」
七星の言葉に、育美は頬を赤らめて少しだけ俯いた。ページをめくって登場人物紹介やあらすじを食い入るように読む七星の表情を、遠慮がちに窺う。
「…今度は、ね、みんなで一緒に旅したり、冒険できたらいいなって、思って…」
「なるほどね。それで、物語の世界を冒険するっていう…」
「ファンタジーな世界観もいいよね〜!私、結構好きなんだあ。魔法使いとか妖精とかも、いつかやってみたいなあ…」
桃華がうっとりした表情でそう言うと、いつの間にか合流していた朔太郎が、額の汗を拭きながら話に加わった。
「俺は時代劇とかもやってみたいけどな。新撰組とか、忍者とか…そんで俺は、超強い敵の頭、みたいな…」
「ああ、あれか。悪代官ってヤツ。」
「いや違わないけど!!!想像してたのは違う!てかお前!勝手にホームルーム抜けるなよ!!俺が怒られただろ!」
今日もご健在な朔太郎のツッコミに、桃華と夢乃は愉快そうに笑う。その楽しげな様子を見て、七星はまた興奮した様子で一歩前に出た。
「やれるよ、全部やろうぜ。俺たち、まだまだこれからだ。」
七星の言葉に、朔太郎も大きく頷く。
「だな。まずは次の公演、成功させないとだ。」
「でもさあ、どうしようね。勝吾先輩は芝居修行、なっちゃん先生は、入部希望者の対応で忙しそうだし…」
稽古計画表を広げた夢乃が悩ましげにそう言うと、桃華も「確かに」と苦笑した。あの公演以来、演劇部への入部希望者が殺到している。らしい。
詳しいことは夏樹しか知らないが、とにかく入部希望者の対応に追われて、夏樹は普段よりずっと忙しそうだ。こんな時に限って逃げるように新たな旅へと出かけていった勝吾を、本気で恨んでいる。
とにかく今の演劇部には、演技指導ができる人がいない。それでは、次の公演に向けての稽古も始められない。
数ヶ月前の状況と比べれば贅沢すぎる悩みだ。けれど、再出発したからには、全力で走り抜けたい。
もう一度ここから、自分たちの演劇部を作っていきたい。
そんな想いは、みんな同じだった。
「あ〜あ…コーチでもOBでもOGでも、空から降ってこないかなあ…」
「それなら、俺が稽古を見てやる。」
「マジか、あざーす…って、そういう冗談はいいからさあ…」
ぼやきを絶妙なタイミングで拾った言葉に振り向くと、そこには予想外の人が立っていた。へらへらと気の抜けた笑顔を浮かべていた朔太郎の表情が、きゅっと引き締まる。その大袈裟な反応に気がついたのか、育美と夢乃も声がした方を向いた。
「え?!学院長?!」
「あと、生徒会ツインズ…?なんなの、今度は…」
夢乃は敵意を剥き出しで睨み付けるが、生徒会ツインズは動じる様子もなく演劇部員たちに向かってカツカツと歩みを進めてくる。
「ごきげんよう、演劇部の皆様。」
「ごきげんよう、今後の稽古スケジュールです。ご確認ください。」
相変わらずポーカーフェイスを崩さない瑠璃子が配り始めたのは、日本史の教科書くらい分厚いプリントの束だった。今日から本番日までの稽古スケジュールが分刻みで組まれている。未だかつて見たことのないようなハードスケジュールに、朔太郎は既に失神寸前だ。
「ど、どういうこと…?」
桃華が困惑したように呟くと、透也はわざとらしい咳払いをひとつ溢す。
「勘違いするな。…ここを残した以上、お前たちに確実に功績を残して貰わなければ、私の面子が保てん。」
「という建前です。」
「おい。」
涼しい顔をして学院長を弄る瑠璃子に、演劇部員たちは引きつった笑顔を浮かべるしかなかった。そんな中で七星だけが、目を見開いてスケジュールと睨めっこをしている。早速、今日の予定を確認しているらしかった。
「おい、あと三分で基礎体力トレーニング始まんぞ。」
「え、何それ?」
「知らね。でもグラウンド集合らしい。早く行こうぜ。」
「ちょ、待てよ!!本当にやるのか、これ?!」
「当たり前だろ!!早く行くぞ!!」
透也の方を見向きもせずに、七星は部室を出て行った。他の演劇部員たちも、その後を勢いに任せて追って行く。
「全く、お子様ですわね。練習メニューもまだお伝えしていないのに。」
美和子の言葉に、瑠璃子もクスクスと静かに笑う。
慌ただしく部室を飛び出した演劇部員たちの賑やかな声が、窓の外から聞こえてくる。葉桜の下で戯れている彼らは、相変わらず前だけを見て走っていた。
「此処は本当に、変わらないんだな。」
透也が小さく呟いた言葉は、窓から吹き込む春風に拐われていった。
*
「芝居してえなー!!」
よく通る大きな七星の声が、遠くから聞こえてくる。
もうグラウンドに着いたのだろう。少しの暇も嫌う七星は、運動部の掛け声に負けない声量で発声練習を始めていた。
これから地獄のランニングが始まるというのに、呑気な奴だ。
「誰に似たんだか。」
朔太郎が呟いた言葉に、育美は乾いた笑いを浮かべる。
広いグラウンドの端に立つ七星は、目の端で育美たちの姿を見つけて大きく手を振った。
「東條、早く来いよ!芝居、やろうぜ!!」
七星の真っ直ぐな言葉が、育美の心をぐっと熱くする。
「うん、やろう。今行く!!」
グラウンドまでの一本道は、我が校自慢の桜並木だ。
今はもう葉ばかりだが、来年はまた、綺麗な花が咲くだろう。
何度でも、何度でも、季節が来れば花が咲く。
履き潰したスニーカーの靴紐を固く結んで、育美は強く一歩を踏み出した。
今、春に駆けていく。
終
使用した音素材:ポケットサウンド(https://pocket-se.info/)
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