シーン9
- 21lastplay
- 2021年2月12日
- 読了時間: 3分
かもめ館二階のバルコニー部分は、大事な話をする時によく使う。昔は先輩たちがこの場所に集まって、何やら真剣な顔で話しているのを盗み見るのが好きだった。ガラス戸で仕切られた室内の廊下にいる自分たちには、その会話は聞こえない。聞かせたくないだろうから、じろじろ見るのも憚られた。それでもチラチラと、懲りずに見てしまうのは、真剣に芝居に向き合っている先輩たちに憧れていたからだ。
自分たちもいつか、この場所で。そう思っていたのに、結局使う機会なんて殆どなかった。
「あーあ、格好つかねえなあ。」
残念そうに勝吾が空を仰ぐと、夏樹は怪訝そうに眉を顰める。この場所に呼ばれた理由が分からないからだろう。腕を組んで不機嫌そうだ。
「ねえ、何さ。突然戻ってきて。」
勝吾が口を開く前に、夏樹が棘のある声で先手を打つ。その苛立ちに乗っかるように、勝吾は挑発的な笑みを浮かべた。
「いんや?ずいぶん感傷に浸ってるなって。」
「…何が。」
「変わりたいとか、変われたかもとか。まあ、あんたにしては良い台詞っぽくて…」
「あー、分かった。もういいわ。」
揶揄うような勝吾の言葉を無理やり制して、夏樹はそっぽを向く。そのぶすっとした横顔を見て、勝吾は呆れたように溜め息をついた。
「辛気臭えツラ、してんな。」
「アタシ?」
「あんた以外、誰もいねーだろ。」
真っ直ぐに見つめられると居心地が悪くて、夏樹は逃げるように下を向いた。その根性無しな態度が気に食わないのか、勝吾は苛立ちを誤魔化すように地面を蹴る。そしてまた夏樹を見て、少し怒ったような、悲しいような表情を浮かべた。
「変わったよな、あんたは。」
勝吾の言葉に、夏樹は理解できないといった様子で顔を顰めた。
「変わった?アタシが?」
「ああ、変わったよ。昔のあんたならきっと、此処を守る方法、一緒になって考えてただろ。でも今は違う。全部諦めた顔してる。」
勝吾の声は真っ直ぐで、いつもの軽い調子とは打って変わった、真剣な色を纏っている。その圧力から逃げるように、夏樹はサッと目を逸らした。
「まあ、でもさ。実際問題無理でしょ。もうどうしようもないじゃん。」
「まだ終わってないだろ。俺たちは…」
「もう終わってるよ!!」
全てを拒絶するように、夏樹は悲痛な声を張り上げた。
「…アタシたちの演劇部はもうない。あんたこそいい加減、引きずってないで現実見なよ。どんだけここに居座ったって、あの時の演劇部はもう戻ってこないんだよ。」
一歩、二歩と勝吾に詰め寄って責め立てる夏樹の顔が、苦しそうに歪む。
「…もう、終わったんだよ、全部。」
ぽつぽつと、夏樹は自分に言い聞かせるように呟いた。
勝吾が自分と同じであることは、よくわかっていた。過去に縛られた、甘い想い出をしゃぶり続けないと生きられない人。
それなのに勝吾は、ずっとずっと、またこの場所で芝居ができると信じている。全て失って、絶望して、長い時間が経ってもまだ、あの時のような演劇部が復活すると信じている。
めでたい頭だ。何一つ理解できない。どんなに頑張ったって、もうあの時間は戻ってこないというのに。自分たちの愛した演劇部は、二度と戻ってこないというのに。
綺麗事を吐かれるたびに、思い知らせたくなった。時間は戻らないし、あの時以上はもう絶対にあり得ない。全ては過ぎた想い出なのだと。
分からせて、傷つけて、何がしたいのかはよく分からないけれど。
勝吾の真剣な眼差しを見ていると、何故か焦って、居心地が悪くて仕方がない。
強く握った拳から、痛覚を刺激する感覚がびりびりと、久しぶりに身体を伝ったのを感じた。
「…確かに、あの頃にはもう戻れない。でも俺は、戻りたいわけじゃないよ。ずっと、自分の大切なもの、守りたいだけなんだ。」
暫しの沈黙を破ったのは、勝吾だった。その意外な言葉に、夏樹はふと顔を上げる。そこには夏樹をしっかりと見据える、あの頃よりも少しだけ大人びた勝吾の姿があった。
「あんた、大事なこと忘れてるよ。」
勝吾の真っ直ぐな声が、また夏樹の胸の辺りにずっしりと響いた。
コメント