シーン12
- 21lastplay
- 2021年2月15日
- 読了時間: 5分
更新日:2021年2月18日
「ま、一件落着って感じだねえ。」
いつもの調子でへらりと笑った夏樹が、演劇部の輪の中に入っていく。ジャージの袖をくるくると巻き、まとまりのない髪を雑に掻き上げた、いつも通りの姿。けれどその表情はいつもよりもずっと、明るいように見えた。
「じゃあ、これからは公演に向けて本気で頑張るってことで。いいんだよね?」
「はい。」
夏樹がそう聞くと、七星は間髪入れずに威勢の良い返事をする。朔太郎には「ひとりで勝手に決めるな!」と怒られながらも、七星は次の公演のことで頭がいっぱいの様だった。七星が好き勝手に公演のプランを話し始めると、夢乃と育美は、真面目そうな顔つきでその話に乗っかる。面白そうと参戦した桃華は七星にも負けない奇抜なアイデアを提案し、そこに溜め息をつきながらも、積極的にツッコミ役を買って出る朔太郎も加わっていく。
幽霊部活の部員だったはずの面々が、いつの間にかちゃんと、演劇部らしい会話を交わしている。散らかったホールの片付けもそっちのけで、いいご身分だ。
「演劇バカ…」
夏樹がやれやれと小声で呟くと、一文字たりとも聞き逃さなかった勝吾は揶揄うようにニマリと笑って、
「でも、嫌いじゃないっしょ。」
と呟いた。勝ち誇ったような表情が憎たらしくて、でもそれ以上に「うん」と力いっぱい頷きたい自分がいた。
そうだ、きっと、こういう気持ち。
プライドとか理性とか、立場とか、そんなどうでもいいちっぽけなものを全部吹き飛ばしていく、強い追い風が吹いているような。
何もかも脱ぎ捨てて、走り出したくなるような。そんな気持ちにさせてくれる。
演劇が見せてくれる希望の光は、それだけ強くて、なによりも眩い。
そんな光を、本当はずっと、知っていた。
「分かった、分かった。そしたら、裏方はアタシに任せてよ。何とかするからさ。」
「え、なっちゃん先生に?!」
「え、ナニ?アタシじゃ力不足だって言いたいわけ?」
夏樹が意地の悪い言い方をすると、つい口を滑らせてしまった桃華は「そうじゃないけど…」と唇を尖らせる。その何か言いたげな表情が可愛らしくて、夏樹は思わず桃華の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「な、なんで?!どうしたの先生〜…」
「なんでって…可愛いなって思って?」
「うっそだ〜怒ってるでしょ?!ごめんなさいってばぁ…」
頭の上に乗っかる手を無理矢理下ろして、桃華は念を押すように「ごめんなさい!」と手を握った。謝って欲しいわけじゃなかったのにと夏樹は小さく呻いたが、それがきっと、自分が今までしてきたことの結果なのだ。
大切にできなかった。
本当はずっと傍にあって、こんなにも近くで「見つけて」と叫び続けていたはずなのに。空白で、灰色で、味のないこの場所を作り上げていたのは紛れもなく自分自身で、でもいつだって、他の誰かのせいにして。
そうやってずっと、可能性を潰してきたのかもしれない。
「ごめん。」
どうしようもない罪悪感がむくむくと湧いてきて、気付いたら零すように言葉を口にしていた。その声が情けなく震えて、恥ずかしいから、開き直るように笑う。
「…ごめんね。でも、アタシにも手伝わせて欲しいんだ。此処はアタシにとっても大事な場所で、守りたいもの、だから。」
自分でも驚くほどの真面目くさった声音に、返ってきたのはもちろん沈黙だけだった。
しかし、その気まずさに耐えかねた勝吾が小さく吹き出して笑う。
「やめろよ、先生。ガチなあんたとか、なんか違うって。」
「はあ?これがかつてのデフォですが。」
「そうだったっけ、もう昔のこと過ぎて違和感しかねーな。」
朔太郎と桃華が笑うと、それにつられて夢乃と夏樹も笑い出す。そんな周りの様子をちらちらと確認した育美も、嬉しそうに微笑んでいた。
「こんなに笑ったの、久しぶりだね。」
桃華の言葉に、勝吾は「だな」と満足そうな笑みを浮かべる。朔太郎が「演劇部、ふっかーつ!」と飛び上がると、それに乗っかるようにみんなで笑った。
「あの、そろそろ稽古始めませんか。あんま時間ないんで。」
「え、今からやんの?!公演やったばっかじゃん!」
「まだまだ動けんだろ。やるぞ。」
そんな中でもいたって通常運転な七星は、小道具の箱を抱えてテキパキと片付けていく。
「お前なあ、もっとなんか、ないの。やり切った!みたいな余韻とかさ。」
「やり切ったつーか俺たち、まだ始まってもないだろ。本番はこっからだ。」
七星が真っ直ぐにそう言うと、勝吾はふるりと肩を震わせ、何かをこらえるようにニヤニヤしながら頷いた。
「そうだな。満足してる暇ねーぞ、下校時刻までは稽古だ!そうと決まったらさっさと片付け!やるぞ〜。」
「マジかよ…きっつ…」
「ほら、ぐずぐず言ってないでやるよ。あたしも早く稽古したいし。」
「夢ちゃんまで〜…?」
相変わらずぶつぶつと文句ばかり言っている朔太郎の背中を、夢乃が呆れ気味に押していく。いつも通りの日常が戻ってきたようで、桃華は安心したように笑った。
まだ少しだけ残っている小道具の片付けをしようと立ち上がった七星は、茫然と立ち尽くしたまま動こうとしない育美の姿を目の端で見た。
舞台の上からぼんやりと、暗がりで薄らとしか見えない客席を眺めている。何を考えて、何を思っているのかは分からない。でも何となく声をかけないといけない気がして、七星は無遠慮に育美の肩を叩いた。
「なあ、東條。」
「え、あ、えっと…俺…えと…」
何を聞いたわけでもないのに、育美はわたわたと言葉を探す。その様子に七星は首を傾げた。
「芝居、終わっただろ。片付けて稽古、行くぞ。」
「あ…そっか。うん、そうだね。」
育美はまた、顔を隠すように俯く。そのはっきりしない態度が未だに理解できないが、さっき舞台の上で隣に立っていた育美は凄かった。指先まで役に浸かったような、繊細で管理が行き届いた表現。普段は不安げに下ばかり見ている育美の瞳が、しっかりと七星を捕らえていた。ころころと変わる表情も、思っていた以上に力強くて安定した声も、どれも全く知らない育美の一面だった。
「芝居、やっぱできたじゃん。」
七星がちょっと照れくさそうに頬を掻くと、育美もそれにつられて、サッと頬を赤らめた。
「…うん。」
「うん。でも、こっからだな。これから頑張って作っていこうぜ。俺たちの演劇部なんだからさ。」
七星はそう言ってはにかみ、恥ずかしさを隠すようにそそくさと小道具の片付けを始める。
「俺たち、の…?」
育美が確かめるように呟いた声は、七星には届かなかったらしい。小道具の段ボールを抱えて走りだす七星の背中を、育美はぼんやりと眺めていた。
「育〜?もう部室戻るってさ!一緒に行こうぜ!」
朔太郎に肩を叩かれ、ふと我に返る。振り返ると、朔太郎と夢乃が心配そうに育美のことを見ていた。
「ご、ごめん。行く。」
楽しげに撤収していく仲間たちを追うように、育美もホールを後にする。重い扉ががしゃんと閉まる音を背中に聞きながら、部室へと続く階段を駆け上がった。
〜第一部終了〜
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