シーン15
- 21lastplay
- 2021年2月21日
- 読了時間: 7分
更新日:2021年2月27日
「そろそろ考えないとやばいよなあ、本番の演目。」
朔太郎の柔軟を手伝いながら、勝吾は悩ましそうにひとりごちた。背中を押されている朔太郎が「痛いんだけど?!」と懸命に抵抗しているのに、どこか上の空だ。
「あーねえ。どうしようかねえ。」
それに乗っかるように、夏樹も「うーん…」と悩みこむ。
夢乃奪還作戦が成功してからは、勝吾を中心に基礎練に励む日々が続いていた。発声や身体作りをはじめ、表現力を鍛える芝居のワークもなかなかハードだ。朔太郎や桃華が泣き言を言うたびに、勝吾は「俺たちが全国に行った時はこれの三倍やってたぞ」と二人を脅した。
それに対して「だったら三倍やらせろ」と応えるのが、七星と夢乃だった。育美も黙ってはいるが、与えられた課題は黙々とこなす。周囲の本気に感化されたのか、最近は朔太郎と桃華のぼやきもだいぶ減ってきた。稽古は順調。ただ、脚本探しは難航していた。
「部室はひと通り探したんだよねえ?」
「一応な。色々あったんだけど、どれもピンと来ない感じでさあ。」
「あーねえ…あれは?開かずの棚。」
開かずの棚。その奇妙な語感に惹かれたのか、柔軟に集中していた部員たちが一斉にちらりと顔を上げる。そのシンクロしたような動きがツボにハマったのか、夏樹は小刻みに笑いながら「そうそう」と弾む声で頷いた。
「そろそろ掃除しないとヤバいんだよね〜」
「え、開かないんじゃないの?」
「いや、あくあく。開けないだけで。」
「なんだよ…」
七星ががっかりしたように呟くと、夏樹はまた愉快そうに笑った。
「てか、都合良く掃除させられるだけじゃん、これ。」
「違いない気がする…」
「はいはい、気にしたら負け。掃除したら綺麗になるし、脚本も見つかるかもしれない。一石二鳥だねえ、天才かなあ。」
夢乃と桃華の訝しげな視線は知らないふりをして、夏樹は調子のいいことを独り言のように呟きながら、演劇部員たちに掃除道具を無理やり押し付けた。
「んじゃ、あとはヨロシク〜」
*
夏樹が逃げるように部屋を去ったあと、演劇部員は渋々掃除の準備をした。
「…やる気すごいな」
「虫とか出てきたら最悪じゃん。汚いのもまじで無理。」
ひとりだけジャージにマスクの完全防備を纏った夢乃は、箒を持って殺虫剤も抱え、戦闘態勢に抜かりはない。桃華が新品の雑巾を持ってくると、それをポケットに突っ込む本気ぶりだった。
「まじで開けんのかよ、これ…」
南京錠のかかった開かずの棚は、酷く錆びついて禍々しいオーラを発している。入り口のすぐ横にあるにも関わらず、いつも見て見ぬふりをしていたことを憎んでいるのかもしれない。きっちりと閉じられた扉の僅かな隙間から冷気でも漏れてきそうで、朔太郎は警戒するように一歩後退った。
「ま、開けるしかねーよな。」
勝吾が諦めたように苦笑いを浮かべると、桃華は「えー」と駄々をこねる子どものようにしゃがみ込んだ。
「この鍵さあ、ぶっちゃけいつから開けてないの?」
「さあ。俺の先輩たちはよく使って気がすっけど。」
「先輩の先輩っていつの時代…」
ぐちぐちと文句を言う後輩たちを横目に、勝吾はガチャリと南京錠を外し、おもむろに扉に手をかけた。
「んじゃ、開けるぞー。」
勝吾が焦らすようにゆっくり扉を引くと、ぎりぎりと嫌な音を立てて中が露わになる。耳障りな音に桃華と夢乃は耳を塞ぎ、朔太郎はびびって目を瞑っていた。
「…なんか、あるっすか?」
七星がそわそわした足取りで近づくと、勝吾は首を傾げて古びたファイルケースを引き出す。長い眠りから覚めた棚の住人たちは、埃は被っていたものの、想像よりははるかに地味な様子だった。
「ないんだね、蜘蛛の巣とかさ。」
「それはさすがにフィクションだわ。」
誰よりも重装備だった夢乃は、素知らぬ涼しい顔をして、テキパキと棚の中身を外に出していく。昔の教科書に、稽古日誌、みんなが一度は必ず躓く化学のテスト対策ノートまで。鍵までかけて何を隠しているのかと思いきや、大したものは入っていなかった。
「脚本、とかは…」
「ないわけないだろ、こっちも探そうぜ。」
どこから手を付けようとおろおろする育美に、七星はガムテープでぐるぐると巻かれた怪しい段ボールを手渡す。その足で、こっそり休憩しようとグミの袋を開けていた桃華の前にもどっしりと重そうな段ボールを置いていった。桃華は「ちぇー」と分かりやすく拗ねた顔で七星を見て、それでも反応がなかったから仕方なく、破るように段ボールを開けていった。
「おし、そろそろ休憩にすっか。」
暫くすると、隣の部室から古い壁時計の調子の外れた音楽が聞こえてきた。午後五時を知らせる音楽らしい。はじめはぽつぽつと聞こえていた文句も、気付いたら聞こえなくなっていて、それぞれが黙々と、作業に集中し始めたようだった。時間が過ぎるのは早いもので、作業を始めてから、いつの間にか一時間半も経っていた。勝吾が休憩を促すと、それぞれ凝り固まった身体を解すようにして立ち上がる。そんな中でひとり、桃華だけが一冊の冊子のページを真剣にめくっていた。夢乃が軽く肩を叩くと、桃華は勢いよく立ち上がる。
「…脚本だ。」
「え?」
「これ、脚本だよ!!」
見て見て見て、と全員を自分の元に集めると、桃華は「じゃーん!」と誇らしげにその冊子を掲げた。
「連れ立って流れる、星の先に…?」
表紙に書いてあるタイトルを口にして、七星は不思議そうに首を捻る。
「聞いたことないな…」
「部員の誰かが書いて、そのままお蔵入りになった、とか。」
「あーね、恥ずかしくて棚の奥深くに隠しちゃいました、とか。」
夢乃と桃華は好き勝手言いながら、ぱらぱらと流すようにページをめくっていく。その手元をそわそわと、朔太郎と七星が覗いた。
「ね、ねえ、大丈夫なやつ?勝手に見て…」
「平気でしょ、呪いの書でもあるまいし。」
「呪いの書?!やめてよそういうの!!まじでやばいじゃん!!」
朔太郎が大騒ぎするのはいつものことと軽く流し、桃華たちは脚本に視線を戻した。
物語はどうやら、現代を舞台にした、銀河鉄道のオマージュ作品のようだった。主人公は二人の男子高校生で、美術部員。正反対だけど大親友の二人は、画家になるという夢を共に叶えるため、東京の大学に進学を目指すようになる。しかし、片方が不慮の事故によって利き手が動かせなくなってしまうことで、平穏な物語に向かい風が吹くようだ。事故をきっかけにすれ違う二人が、銀河鉄道に乗り旅をする話。
そんな物語の大枠をなぞりながら、次へ、次へと惹き込まれるようにページを捲る。しかし、ラストに向かう重要な場面に差し掛かった時、脚本を手にしていた夢乃の手がふいに止まった。
「…どうしたんだよ。」
七星が急かすように聞くと、夢乃はいらっとしたように眉をぴくりとさせ、脚本を突き出した。
「破れてる。続きナシ。
「はあ?ないわけないだろ。」
「ないわけあるから。実際ないし。」
「えー…じゃあこれだめかなあ…」
桃華はがっくりと肩を落として「どうしよ〜いっく〜ん」と育美の背中にのしかかる。育美はそんな桃華に、ただ愛想笑いを浮かべていた。それもすぐに目線を下げて、じっと脚本を眺めている。その真剣そうな、思いつめたような表情に気づいたのか、七星は育美の横にひょいとしゃがみ込んだ。
「知ってんのか、これ。」
「え?」
「知ってんなら、なんか言えよ。これが使えたら話早いだろ。」
そう言って七星が育美の顔を覗き込むと、育美は困ったように目を逸らして「えっと」と弱々しくこぼした。
「知らない、かな…」
「ほんとか?」
「…うん…良い作品だなって、思って…」
育美が早口でそう言うと、桃華も「だねえ」
と頷く。その様子をずっと後ろで見ていた勝吾も「そうだなあ」と溜め息をつくように呟いて、夢乃の手から脚本を抜き取った。
「ま、これの他にはないみてえだし。とりあえずこれ、読み合わせてみるか。」
「これ、ですか…」
「続きは、まあ…これからまた探そうっつーことで。今日は解散だな。」
困惑する育美の横を素通りして、勝吾は「印刷してくる」と部屋を出て行った。最後にちらりと振り返って「たまには勉強もちゃんとしろよ、学生諸君。」なんて言うから、夢乃や朔太郎が「先輩にだけは言われたくない」と呆れたように笑う。下校時刻を知らせる音楽が、古いスピーカーから流れ始めた。今日はオペラ座の怪人だ。
「やっば、生徒会見回りくるよね?」
「早く出よ!!減点は無理!」
慌てた桃華と夢乃は朔太郎に荷物を押し付けて、部屋をそそくさと出て行く。律儀に三人分の荷物を抱えた朔太郎も、泣き言を言いながらその後を追っていった。七星も負けじと帰り支度を進める。そんな中で育美だけが、しっかりと閉じられた開かずの棚を眺めて、呆然としていた。
「…東條。」
帰り支度を終えた七星が、呟くように育美を呼んだ。届くはずのない、らしくもない弱々しい声だった。
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