シーン20
- 21lastplay
- 2021年3月2日
- 読了時間: 5分
沈み切る直前の西日が、残り火のようにジリジリとする季節だった。夏休みもあと数日というところ。晴にいはダイニングテーブルにかじりつき、ノートに何かを書き続ける毎日だ。
きっと忙しいんだから、邪魔をしちゃいけない。……でも、もうすぐ学校が始まってしまう。そうしたら夏の間のようにはもう一緒にいられない。……もっとたくさん遊んでほしいな。
そんなことを考えながら俺は、台所からちらちらと晴にいをうかがう。
相変わらずノートとにらめっこを続ける晴にいは、最近コホコホと空咳をよく漏らすようになっていた。
この家はボロで隙間風も多いから、風邪をひいてしまったのかもしれない。
風邪をひいたときは、夏でも温かいものを食べたほうがいい。そう母が言っていたのを思い出して、見よう見まねでココアを作った。夕ご飯の前におやつを食べてはいけないとも言われているが、母はどうせ今日も夜まで仕事で帰ってこない。だからこれは内緒だ。
恐る恐る机に近づくと、気が付いた晴にいは「どうした?」と俺に笑いかける。
「これ、晴にいにココア、作ったんだ。」
「え、俺に?」
ぱちくりと目を見開くも、俺がおずおずと差し出したマグカップをみて、晴にいは満面の笑顔になった。
「ありがとう」と言い、両手で大事そうにカップを受け取った晴にいは、一口飲んでから「美味しい」と更に顔をほころばせた。
晴にいに喜んでもらえたのにホッとして、俺は隣の椅子によじ登る。テーブルに広げられたノートには、小さかった俺には理解できない言葉や、読めない漢字がびっしりと書かれていた。
「晴にい、何書いてるの?」
「脚本だよ。俺たち三年生の、卒業公演の脚本。」
「そつぎょう?」
「うん。高校は、三年生で終わりだからね。演劇部とも、お別れしなきゃなんだ。」
軽い調子で放たれた言葉に、強いショックを受ける。
演劇部とお別れ。
それはつまり、もう高校で晴にいが演劇をすることは無いということで。自分が高校の演劇部に入っても、そこに兄はいないというのだ。
「えー、じゃあ俺、晴にいとお芝居できないの?演劇部で?」
しょぼくれる俺に、晴にいはクスッと笑って答える。
「そりゃあ、そうだよ。育美が高校生になるの待ってたら、俺は大人になっちゃうもん。」
「…俺、やだなあ。晴にいと舞台立ちたかったよ。一緒がいいよ。」
俺はほほを膨らませて、不満な顔をする。
そんな俺の頭を、晴にいは静かに撫でる。
「俺はいつでも、育美と一緒だよ。」
晴にいの言葉に俺は首を傾げた。
「いつも?ずっと?」
「そう。育美が俺のことを忘れない限り、ずっとだ。」
変なことをいう。自分が晴美を忘れるわけなどないのに。謎かけのようにも思える晴にいの言葉におかしくなって、俺は「なにそれ、変なのー」と笑った。
晴にいもつられたように笑い、俺の頭をなで続ける。
「大丈夫。育美はきっと、良い仲間に出会えるし、良い芝居ができるよ。」
「そんなの、分からないじゃん。」
「分かるよ。育美のことなら、俺は何でも分かるんだから。」
そうなのだろうか。でも、晴にいがそういうのだから、きっとそうなのだろう。
くすぐったい気持ちになって、俺は晴にいに抱き着いた。
ギューッと抱き返してくれる晴にいにもっとくすぐったくなって、二人で笑う。
頭をゆっくりとなでていた手が止まる。見上げれば、晴にいがまぶしいものを見るように目を細めて俺を見下ろしていた。
「育美。お前は、俺の夢だよ。」
静かに告げる晴にいに、また俺は首をかしげる。
自分が晴にいの夢?どういうことだろうか?
晴にいはほほ笑むだけで、答えない。
よく分からないけど、晴にいが嬉しそうだからそれでいいかな。
*
「俺の兄ちゃんなんだ。この脚本、書いたの。」
そういって育美は懐かしそうに笑う。
傍らのカバンからおもむろに取り出されたのは、部室で見つけたのと同じタイトルの、最後のページまでがちゃんと残った台本だった。
「兄ちゃんも、演劇部でさ。役者やりながら脚本も書いてて。」
「…そうなのか?」
「うん、晴にいはすごいよ。俺の自慢だった。うちが全国に行った時は部長もやってて、有名な大学から推薦も来てたって…もし生きてたら、今ごろすごい俳優になってたと思う。ずっと芝居やってたんじゃないかな。」
生きてたら。
引っかかる言い方に、訊いてもいいものか一瞬迷うと、育美がそんな七星に気づいて続けた。
「高校卒業する前に、死んじゃったから。事故で。」
七星は今度こそ困惑して黙った。
気にする様子もなく、育美はパラパラと脚本をめくり、最後のページになる。
『終演』の文字をなぞりながら、ぽつりと呟く。
「『離れても一緒』って意味が、ずっと分からなくて。」
破かれていた部分に書かれていたのは、二人が離れ離れになるという結末だった。主人公の蓮と律は、広い広い宇宙の果てで、その道を分かつ。「離れていても一緒だ」と、律は言い残して宇宙にとどまり、蓮は、地球へと帰ってくる。
「一緒だったらこんなに、ね。苦しいとか悲しいとか、思わない、から。」
泣きそうなのを取り繕うように育美は笑う。
こんな時に笑うのか。
腹立たしいような、やるせないような気待ちになり、七星は口を引き結ぶ。
「…でも、俺も頑張らないとだよね。脚本、ないままじゃダメだし。ちゃんとしないと。みんな、困る、から。」
パタンと台本を閉じ、七星を見てから育美は頭を下げた。
「今までちゃんと話さなくて、ごめん。」
七星は何も答えず、静かに育美を見つめる。
反応がないことに気まずくなったのか、育美は顔をあげると、ちらりと時計を確認し、「行こうか」と立ち上がった。見れば、部活の始まる時間を過ぎている。
うつむいて、振り向きもせずに歩き始めようとする育美の手を慌てて七星はつかんだ。
「え?」
困惑する育美に、七星は芯の通った声で告げる。

「なあ、俺たちで変えないか。この物語の、結末。」
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