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シーン21

  • 21lastplay
  • 2021年3月3日
  • 読了時間: 6分


また、どうでもいいことを思い出していた。

くだらなくて、阿呆らしい。なんの価値もない、過ぎた日のことだ。

若気の至りなんて、そんなにいいもんじゃない。無駄で無益だったあの時間は、俺の人生の空白だ。何も残らないし、何を得たわけでもない。

余すことなく全部、無価値なのだ。あの時の自分を思い出すたびに、今の自分の正しさを実感する。真っ当に生き、確かな道を歩んでいくことが全てだ。それ以外の道は、あってないようなもの。選択を繰り返す人生に仕掛けられた、無数の罠。

その罠から、未熟な若者を救い出す。それが自分に与えられた使命だと思っている。

無駄に足掻いたって、心を燃やしたって、良いことなんて何もない。そんなことは、誰よりも分かっているつもりだった。


「蓮、蓮…俺は…なんか違うな…」


下校時刻をとうに過ぎた校内は、人の気配がなく静かだった。こんな時間まで残っているのは、残業に追われる教員と、よっぽど減点を食らいたい馬鹿者だけ。

聞こえる声は、どうやら後者のようだった。若々しくて少しだけ高い、でも芯の通った、落ち着きのある声。

何処かで聞いたことがある気がした。


「…晴美?」


ふと口から零れた言葉に、血の気が引いたのを感じる。

灯りの点いた部屋には、男子生徒が立っていた。その背格好にも、真剣な時に眉を顰める難しい表情にも見覚えがあったが、明らかに記憶の中にいるその誰かとは違った。

芝居が、違う。

あいつはもっと、圧倒的だった。上手いとかできるとか、そんなもんじゃない。舞台に立てば、誰からも愛されたし、誰からも羨望の眼差しを向けられた。


「…笑えるな。」


思わず呟いた独り言は、自嘲の薄笑いで微かに震える。

大嫌いだ。人生でこの上ないくらい、最悪でやり直したい、とんでもなく無意味な毎日の繰り返しだった。

それなのに、思い出すのはいつだって、あの日々のこと。

俺はひょっとしたら、自分を傷つけて、追い詰めるのが好きなのかもしれないと、諦めの溜め息をついて歩みを進めた。


「何をしている、こんなところで。」


声を掛けると、その男子生徒は大袈裟に肩を震わせた。


「下校時刻はとっくに過ぎているが。」


壁に掛かっている時計を見て、驚いたように目を丸くする。どうやら全く気づいていなかったようで、弱々しい声で謝りながら、急いで荷物を片付け始めた。

意地でも目を合わせようとせず、自分を守るように背中を丸めるその惨めな姿に、思わず溜め息をついた。

何から何まで、違う。

この小動物のように震える、臆病な少年。東條育美は、俺の知っているあいつとは全く違うのだ。


「楽しいか、芝居をするのは。」


徒らに声を掛けると、東條育美はゆっくりと頷いた。


「そうか。結構なことだな。」


別に、どんな素晴らしい答えを求めていたわけでもない。興味も何もなくて背中を向けると、後ろからがさりと、勢いよく立ち上がる耳障りな音がした。


「あ、あの…!!」

「なんだ。」


その声に応えるつもりはなかったのに、立ち止まってしまったのが運の尽きだった。不快を前面に出して返事をすると、東條育美は怯んだように唇をぎゅっと結び、それでも細々と、何か言葉を続けようとする。

そのムカつくほどに諦めの悪い性は、誰に似たのだろうか。

答えは分かりきっていて、考えることをやめた。


「俺、透也くんと晴にいたちの芝居、好きでした。憧れ、だったんだ…」


まだ幼さの残る口調で、東條育美は辿々しく言葉を紡ぐ。懐かしい名前に、忘れかけていた呼び方。もう聞くこともないと思っていた言葉の数々に、こめかみの辺りがきりきりと痛むのを感じた。


「透也くんは芝居、嫌いになっちゃったの…?ここでの思い出は、もうどうでもいいの?俺は、やだよ…なくなっちゃったら、やだ…だから…」

「俺がここで学んだのは、永遠なんてないということだ。」


身体を走る痛みに耐えきれなくて、全てを拒絶するように言葉を遮った。


「どれだけの熱を注いでも、時間を注いでも、終わってしまえば何も残らない。想い出だの友情だの、形に残らない上に役に立たないものはあてにならない。虚しくないか?どんなに大層な夢を見て創り上げたって、夢から醒めたら結局、出来合いのレールが敷かれた人生を歩むんだ。馬鹿らしいだろう。」


そう言って口の端だけで笑うと、東條育美は今にも泣き出しそうな目で俺を見た。


「そんなことない!馬鹿らしいなんて、そんな…晴にいは、」

「お前にあいつの何が分かるんだ。」


声を張ってふと、こんな気弱そうな子どもに向きになっている自分が馬鹿らしくなった。こんな時にでも、何処か冷静に自嘲を繰り返している自分がいる。自分を責め、嘲笑う、暗い影のようなもの。それが苛立ちを助長して、今にも額の血管がぶちぶち切れそうなほどの怒りに拳を握った。 


「あいつは、俺を裏切った。芝居を辞めると言ったんだぞ。」


俺の言葉に、東條育美は僅かに口を開いたまま硬直した。


「知らなかったろ?推薦蹴って、俺との約束も破って、芝居を捨てたんだ。」

「なん、で…」

「知るか、そんなの。ただ、その程度の奴だったということだろ。」


吐き捨てるようにそう言うと、駄々を捏ねる子どものような、泣き混じりの痛々しい声が部屋に響いた。


「ち、違う!」

「これが現実だ!!天性の演劇馬鹿で、仲間思いで、大スターの東條晴美なんていなかった!!それはお前らが勝手に作り上げた幻想なんだよ!!」


今までにないほど、言葉に怒りがこもった気がした。その圧に負けてか、それとも嫌な現実を知ってしまったからか、東條育美の目からは大粒の涙が零れる。

懲らしめたかったはずなのにすっきりしないから、また口を開いた。棘のある言葉が、痛みなく次々と零れていく。


「可哀想な奴だよ。苦しかっただろうな。大して好きでもない芝居に縛られて、期待されて。あいつだって、早く開放されたかったんだろうさ。」

「やめてよ!!」


あまりにも痛々しい声に、すっと気持ちが冷めたのを感じた。

めそめそと泣き続ける目の前の少年が、懇願するような目で俺を見る。怒りや憎しみは不思議と感じられない。悲しみに満ちた、弱々しい瞳。こんな時でさえも人を憎めない性を、心底可哀想だと思った。

嫌って、憎んで、遠ざければ楽なのに。それができない奴が嫌いだ。

どんな奴よりも、嫌いだった。


「…お前だって同じ運命を辿るんだ、東條育美。ここを訪れる多くの人間は皆、お前を通して晴美の姿を見る。誰もお前自身を見てはくれない。東條晴美の弟。あいつの才能を受け継いだ、嵐ヶ丘の希望の光。分かってるんだろ、そう見られることくらい。」


何も返してこない縮こまった背中にとどめを刺すように、言葉を続けた。


「そういえば…森田、七星といったか。懐かしいな、あいつのことは覚えているよ。晴美が随分と、入れ込んでたからな。きっと良い役者になるって、よく言っていた。本当に、演劇部に来るなんてな。」

「え?」

「あいつがどうして此処に来たのか。どうしてお前と、芝居をするのか。よく考えてみるといいさ。」


21時の鐘が鳴る。

余計なことを話し過ぎた気がして、小さな舌打ちが漏れた。そろそろ見回りを終えなければ、明日の仕事に響くだろう。朝イチで職員会議もあれば、全校朝礼もある。

そんなことも忘れて無駄に足を止めてしまった、自分が憎い。結局、何も変わってないのだ。あの頃の自分と、何も。


変わらないし、変われない。


それはお前も一緒だろう。東條育美。


「…お前自身のことも、な。」


背を向けて歩き出すと、耳障りな鼻を啜る音がだんだんと小さくなっていった。

もう、帰れと言うのも億劫だった。深夜のおんぼろ館に閉じ込められようと、俺の知った話ではない。どうだっていい。

照明が落ちた真っ暗な廊下を、迷いなく進んだ。一寸先すら闇だって、構わない。


俺にはもう、何もないのだから。

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