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シーン24

  • 21lastplay
  • 2021年3月8日
  • 読了時間: 5分

時々、思い出すことがある。


自宅の汚れたガラス窓から、ほんのりと紅く染まった葉が散るのを見ていた。

余程退屈そうに見えたのだろう。晴にいは俺に、一冊の脚本を貸してくれた。

ページをめくって、目についた台詞を片っ端から読んでみる。それだけのことでも、晴にいは大袈裟なくらい褒めてくれた。


「ご褒美のおやつ、何がいい?」


そう聞かれた俺は、いつも必ず「ホットケーキ」と答えていた。あったかくてふわふわなホットケーキが好きだった。

お気に入りの歌を口ずさみながら、台所に立つ晴にいを見るのも好きだった。


「これ、俺の?」

「そうだよ、ぜんぶ育美の。」


晴にいはいつも、俺が食べているのをにこにこ笑って見ているだけだった。

自分の顔よりも大きなパンケーキを二枚、俺は独り占めして頬張る。ひと口でも半分でも分けてあげれば良かったのに。

幼い俺はわがままで、自分勝手だった。それでも晴にいはいつだって、俺のことを大事にしてくれた。


「俺、大きくなったら、晴にいみたいになりたいな。」


そう言うと晴にいは、何も言わずに微笑んで俺の頭を優しく撫でてくれた。手の温かさが心地良くて、嬉しかったのを覚えている。


「俺も晴にいみたいに、優しくて、カッコよくなりたい。あとね、舞台にも立ちたいな。おっきい舞台でさ、ヒーローになってね、あとはね、俺ね、」

「分かった、分かったから。落ち着いて食べな。」


ボロボロこぼれたホットケーキを拾って、晴にいはちょっとだけ笑った。話を遮られた俺は不貞腐れて、わざと乱暴にパンケーキを口に放り込む。


「なるもん。俺、絶対晴にいになるもん。」

「そうか。俺は、育美は育美のままでいいと思うけどな。」


晴にいの期待はずれの言葉に、俺は「えー」と抗議の声を上げる。


「なんでー?芝居したら、誰にでもなれるんでしょ。だったら俺、晴にいになるよ。つまんないよ、俺のままなんて。」


俺が駄々を捏ねるようにそう言うと、晴にいは「そうだよなあ」と呟いて、困ったように首を傾げた。


「でもさ、つまんなくても、嫌で、苦しくても、俺は俺以外の、何者にもなれないんだよな。」


そう呟いた晴にいがどんな表情をしていたのか、俺は覚えていない。ちょっと寂しそうな声だった気がする。


「晴にい、」


思わず名前を呼ぶと、いつも通りの笑顔で頭を撫でてくれた。


「育美はさあ、俺にはなろうとしなくていいんだよ。」

「なんで?なりたいのに。」

「だって、なれないもん。俺は俺で、育美は育美。誰を演じるにしても、どこに向かうにしても、育美は、東條育美として勝負していくしかないんだ。」


そう言って晴にいは、俺の心臓の辺りをぽんぽんと軽く叩いた。


「なにそれ、わかんないよ…」

「まあ、そうだよな。夢を見たいお年頃だもんな。」


俺がわざといじけたように俯くと、晴にいは確か、意地の悪い顔で揶揄うように笑った。


「でもな、育美。忘れちゃだめだぞ。」


その先に続く言葉は、なんだっただろう。

空になったお皿を洗う流水音。大きな背中を見上げて、俺はまた、何か不満そうに呟く。その様子は鮮明に思い出せるのに、交わした言葉はなにひとつ思い出せない。


きっと俺は、何も分かっていなかったんだ。



祭りらしい、賑やかな熱気が校内全体を包んでいる。人混みを避けるようにして何とかたどり着いたいつもの場所は、案の定人の気配がなくて落ち着いた。

遠くから、演劇部の公演を告知する校内放送が聞こえてくる。

そろそろ戻らなきゃ、間に合わない。それなのに足が動かなくて、俺は道端の石のように小さく、固く、膝を抱えて座りこんだ。


舞台に立つのが、怖かった。


人の目から逃れられないあの場所では、自分が「晴にいにはなれない」という事実を突きつけられる。

近づくどころかどんどん遠ざかって、終いには見えなくなってしまいそうで。それがあまりにも、恐ろしかった。

比べられるのは嫌だった。

でも、ほかに目指す姿も、目標もなくて、あるのはあの日の憧れだけだった。

俺には、芝居しかない。

晴にいと繋がるものも、自分の存在を証明するものも、今夢中になれるものも、芝居しかない。それ以外は、何もない。


だからどんどん、のめり込んでいった。


夢中になってる間は楽だった。誰にも邪魔されない、自分だけの世界の中で、俺は憧れた姿を目指し続けた。自分が自分じゃない、もっとすごい誰かになっているような感覚が気持ち良かった。

でもそれは所詮真似事で、俺は東條晴美にはなれず、東條育美が分からない。

ちぐはぐな人間になってしまった。


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それでも、森田くんと出会って、ちょっとは変われた気がしたんだ。

何も知らない君が、突然現れた君が、俺のことを、俺の芝居を認めてくれた。

俺は君が怖かった。真っ直ぐな目から逃げられなくて、不安になるから。

でも俺は、君の言葉に救われていたのかもしれない。救われていると思っていた。

君の前だけでは、ただの「東條育美」になれて。君も「東條育美」を見てくれていると信じていた。


でも、そうじゃなかった。


強い風に吹かれて、手に持っていた脚本がぱたぱたと音を立てた。


舞台に立つ自分を思う。


彼処に立って、俺は何を思うのだろう。

何を求めるのだろう。

…俺は一体、何を見ていたんだろう。


もう何も、わからなくなってしまった。


正午の鐘が、校内に響く。

こんなところにいるべきではない。

分かっているのに、どうしても一歩前に踏み出せなかった。


「ごめんなさい、」


ふと、脚本の裏表紙に目を落とす。

みんなで考えたラストシーン、稽古中のアドバイス、誰かが描いたふざけた落書き。その全部を裏切っている、自分がいる。


「…ごめん、」


ぎゅっと目を閉じても、涙が溢れてきた。

何も見えない、真っ暗な暗闇の中で、誰にも見つからないように身体を丸める。

誰にも見つからない、そう思っていたのに。

力強い足音が、確かに近づいているのを感じた。


「東條!!」



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