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シーン25

  • 21lastplay
  • 2021年3月10日
  • 読了時間: 5分

「芝居をしないか」そう促されるまま、育美は台本を手に七星と向かい合う。

足を肩幅に開き、肩の力を抜く。そうやって初めて、声の出しやすい姿勢を、意識もせずに自然にとるようになっていた自分がいることに気が付いた。稽古で培っていたものが、知らずの間に積もっていたらしい。


「ずっと、似てると思ってたんだ。東條と、あの人。」


ぽつりと零される言葉に、「あの人」が誰なのかを察する。

その弟である育美だ。似ているのは無理もない。


「表情とか、台詞の読み方とか、間の取り方とか。懐かしいって思ってたんだけど。弟だなんて、気づかねえよ。」


口をとがらせる七星に、反射で謝罪が育美の口をつく。


「ごめん。」

「…ほら、そうやってすぐ謝ったり、下向いて顔隠したり、ぼそぼそ喋ったりさ、あの人、そういう人じゃなかったじゃん。」

「…ごめん。」


縮こまる育美に、ムッとした表情で七星は育美を見やる。

つかつか七星は歩きよると、育美の目の前で止まり、その胸ぐらをつかんだ。


「逃げるなよ。」


恐る恐る育美は顔を上げる。七星はまっすぐと育美を見つめていた。少し眉根を寄せているが、そこに険しい色は無く、寧ろ、何か言葉を探して迷っているような、揺らぎが見えた。


「……そうやって謝って下向いて、すぐ逃げようとするな。俺の言い方も悪いかもだけどさ、このままじゃ俺、東條のこと、何も知れないままだ。」


余りにもまっすぐなその目に、そらしたい衝動に駆られる。

七星の光は、いつだって自分には強すぎる。


「知ることなんて、ないよ。」

「あるだろ、いろいろ。」

「ない!!俺には何もないんだ!!」


七星の手を強く振り払う。


「俺は空っぽだ!ずっと晴にいの真似して、生きてきた。あんな人に、役者になりたいって。そうすれば俺だって、ちょっとは自信持って、かっこよく生きていられるんじゃないかって。晴にいの分までちゃんと生きてるって、胸張って言えるんじゃないかって、思って……た。」


みんなの憧れだった晴美。自分も同じように憧れていた。

自慢の兄だった。優しくて、かっこいい。大好きな晴美。でも育美は、晴美のかっこいい姿しか知らない。


「もう、分からないんだ。」

「…なにが。」

「俺、何目指してたんだって。…俺は、何にもなれない、俺は、何なんだって。」


ree

「分かんなく、なっちゃって。」


晴美の本当の姿がわからない。ずっと憧れてきた、あれはもしかして、本当の晴美の姿じゃなかったのかもしれない。だったら、俺がずっと憧れてきた姿は、目指してきた姿は、一体何だったんだろうか。


———可哀想な奴だよ。苦しかっただろうな。大して好きでもない芝居に縛られて、期待されて。あいつだって、早く解放されたかったんだろうさ。


透也の言葉が頭の中を反響する。彼の言っていることが本当だとしたら、自分の勝手な理想は、きっと晴美を苦しめていた。

うつむく育美に、七星は少し考えてから口を開く。


「あの人は俺に、芝居は楽しいんだって教えてくれた。」


楽しくて仕方がないときらきらした目で笑っていた顔を思い出すように、七星は空を見上げる。


「俺は言葉も下手だし、人に良くもできない。俺はあの人みたいにはなれないけど、それでもずっと、憧れてた。あの人みたいになりたいって、思ってた。」


ふっ、と息が抜けるように七星は笑った。


「あの人みたいに、芝居、もっともっと楽しめるようになりたいって、思った。」


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「あの人と過ごした時間は短いから、本当のことはよく分からない。」


そう、ただ少し一緒にいただけで、自分は育美や透也のようには晴美のことを知らない。見たことがないあの人がいたのかもしれない。演劇を楽しめないあの人もいたのかもしれない。

でも憧れていたんだ、心から。

まぶしく思い出される時間に、感動に、自然と七星の両目からは涙があふれていた。


「俺は、あの人が教えてくれたことも、くれた言葉も、ぜんぶ嘘じゃないって信じてる。」

「しん、じる…?」

「うん。」


嵐ヶ丘学院の演劇部が活動をしていないことも、あの人がもういないことも、ここに来て知って、ショックだった。あの人の真意を確かめることは、もう誰にもできない。でも、自分は自分の出会った晴美を信じたい。


「忘れずに信じ続けていれば、離れてたってずっと一緒だって、俺は思う。そう思って、やってきた。」


七星は、自分の両目からとめどなく零れる涙を袖口で力を込めてぬぐい、育美に向き直る。


「これからもずっと、そう信じてる。」


育美の胸に拳を当て、まっすぐにその両目をとらえた。


「一緒に生きるんだ、心の中で。」


揺れる育美の瞳は、困惑を湛えている。

伝わってほしい。その一心で、七星は言葉を一つ一つ、選びながらゆっくりと話す。


「お前は、空っぽなんかじゃない。やってきた芝居も、憧れも、夢も、全部がお前のもんだ。あの人のもんじゃない。お前は東條育美だ。東條育美として、あの人の想いを連れていくんだ。」

「…でも…」

「信じろよ。お前が目で見て、感じたものを信じろ。」

「俺が…?」

「そうだ、信じろ。他の誰でもない、お前自身を信じろ。じゃなきゃ、東條の中のあの人は、もう何処にも残らない。消えていくだけだ。」


あの人は、他でもない弟の育美にこそきっと、伝えたかったはずだ。「芝居は楽しい」のだと。育美があの人から受け取ったものをつなげていけるのは、育美だけだ。


「あの人の想い、無駄にするな。」


七星のいつにもない静かな言葉が、育美に晴美を思い起こさせた。

楽しそうに舞台に立つ姿。透也達と稽古に励む姿。家でも芝居の話ばかりだった。そんな晴美に自分は憧れていた。

……信じれば、信じれば何かが変わるだろうか。わからない。こんな自分が変われるとは思えない。変わらないかもしれない。それでも、忘れたくない。あんなにも憧れていた兄の姿を、この先もずっと、信じていたい。

それだけは心から思えた。


顔を上げ、七星を見る。泣いた跡の残る、真っ直ぐな目だ。その瞳に自分が写っている。不安げで、頼りない、情けない顔。でも、これが俺なんだ。

俺はこのまま、晴にいを追いかけていこう。



使用した音素材:OtoLogic(https://otologic.jp)

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