シーン32
- 21lastplay
- 2021年3月28日
- 読了時間: 3分
世界から、音が消えた。
急な物音に驚いて、はっと顔を上げた。
変わった様子のない舞台。
育美が演じる律は、不安げな表情で七星を見ている。
そうだ、台詞。
そう思った時にはもう、頭の中が真っ白になっていた。
それまで繋がっていた、みんなで紡いできた物語の糸が、ぷつりと切れる。
こんなにも多くの人が集まっているのに、溜め息のひとつも聞こえてこない。
刺さるような沈黙だった。
こんな時に、咄嗟に言葉が出てこない。七星は、自分の不器用さを恨んだ。
何とかしろ、何とかしなきゃ。頭ではわかっているのに、身体がついてこない。言葉も浮かんでこない。
今の自分は、無だ。この音のない世界と一緒で、何もない。
繋げないのか。
頭の片隅をよぎった不安に、血の気が引いた。
繋げない。
俺たちの想いも、あの人の想いも、この場所も。繋ぎたい。まだ終わらせない。
でも、
今の俺に、何ができるんだ。
『蓮、』
名前を呼ばれて、ふと我に返る。
振り向いた先にいた育美は、真っ直ぐな目で七星を見据えている。
眩しいほどの光に照らされた育美の目に、いつもの迷いや怯えはない。
自信に満ちた瞳が、七星に語りかける。
「信じてる。」
そう言ってる気がした。
「大丈夫、俺たちで繋ぐんだ。」
すっと手を伸ばして、育美は七星を引き寄せた。照明が切り替わり、壮大なBGMが入るタイミングで、育美がそっと七星に囁く。
体温が伝わる。
掌は温かくて、でも、指先はひんやりと冷たい。
緊張しているんだ。でも、高揚している。
「繋ぐ…」
自信なさげに呟く七星に、育美は目を細めて頷いた。
そうだ、俺は独りじゃない。
東條と、仲間と一緒に、舞台に立っている。
「やろう、七星。最高の芝居。」
育美の言葉に、七星は大きく頷いた。
*
流れるように口にした言葉は、筋書きにはない台詞だった。
不思議だ。身体は軽くて、頭はフワフワしている。
自然と口から言葉が溢れて、気持ちが溢れて、心が動く。
楽しいかどうかは、よく分からない。
でもすごく、良い気分だ。胸が高鳴って、身体が火照る。
知らなかったんだ。
舞台の上がこんなにも眩しくて、あったかいこと。
芝居をするのが怖かった。
でも、芝居をせずにはいられなかった。
芝居をしなければ自分の形が保てなくて、いつか泡にでもなって消えてしまうと思っていた。
でもきっと、そうじゃなくて。
芝居をする理由なんて、昔はもっと、単純だった。
『でもな、育美。忘れちゃだめだぞ。』
晴にいに言われた言葉、今なら思い出せる。
『育美が信じる道を進むんだ。誰かの真似でも、道無き道でも、心が動く方に進めばいい。』
くしゃくしゃと頭を撫でる、温かくて大きな手が好きだった。
『前を向いて歩いていれば、いつかきっと、素敵な出会いがある。育美はきっと、もっと自分を好きになれるよ。』
晴にいの芝居が好きだった。
割れるような歓声と拍手を浴びて、隣に立つ仲間たちと手を取り合って、やり切った表情で笑う晴にいや透也くんたちが、いつも羨ましかった。
俺も、芝居がしたい。
俺も、舞台に立ちたい。
沈むような客席から見上げる、光に満ちた板の上。
超えられそうで超えられない、その境界線の向こう側を
俺はずっと、夢見てきた。
夢だったんだ、俺の。
『これから、まだ見たことのない未来を、一緒に見ていけばいい。だから、帰ろう、律。』
『ありがとう。…本当にありがとう、蓮。』
蓮が差し出した手を、律はしっかりと受け取る。
本当は『銀河一美しい場所』で離れ離れになるはずだった二人を結びつけたのは、俺たち演劇部だ。
晴にいの気持ちも、本当のことも、俺たちはきっと、何も知らない。
でも俺は、俺の想い出の中にいる晴にいを信じて、
東條育美が信じた道を進む。
全ての想いを乗せて、俺は舞台に立つ。
届くかな。
届いてるといいな。
ずっとずっと、想っているから。
だから、見ていてね、晴にい。
コメント